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2006年10月 7日 (土)

日本兵が残したもの(1)  By 南果 

おでかけ・旅 > インドネシア

◆日本と言う時、我々はニホンと言ったり
ニッポンと言ったりします。私は常時ニホンと
言っているので、此方の人達、皆がニッポンと
発音するので気に成って居ました。

◆ある時、従業員からジョヨボヨ(Joyoboyo)の
話を聞きました。12世紀ケディリ王ジョヨボヨの
予言に依ると「インドネシアは水牛の白い人に
長い期間居座られるが、ある時白い布を纏った
黄色い猿の人がやって来て、もろこしの収穫期間
滞在する。この人達はNIPPON(即ちNanti =であろう,
Indonesia, Perang=戦う, Pula=更に, Orang
Nederland=オランダ人)で、インドネシアは
いつかオランダ人と戦うであろうの略である、
と言うものです。

◆白い布は落下傘、1942年南スマトラPalembangと
北スラウェシManadoに降りた日本の落下傘部隊の事、
もろこし(Jagung)の収穫期間は2.5ヶ月、要は
2.5だと言うが、日本の駐留は3年余に及んだ。

◆此方の人達はこの言い伝えを知っているので、
皆ニホンと言わずニッポンと発音するのかのだと、
理解する様になりました。

◆この様に日本の進軍は神のお告げの如く行われ、
インドネシアの人々に各地で歓迎されました。
進軍の際、後にイ国国歌となるインドネシア・ラヤ
(Indonesia Raya)の歌を流しながらのものも一層の
効果を発揮したそうです。

◆進軍初期の話を此方の人達に聞くと日本軍の青年
将校との温もりの有る関わりが有った事を伺わせる
話が、幾つか有りました。

◆当然たどたどしい会話から始まった事でしょう。

◆一番に覚えた言葉は「ジョウトウ」のようです。
此方の人が何か良い事をすると、褒め言葉として
使っていたのです。反対にダメは「上等ナイ」、
その次が「タイソウ」「イチ、ニ、サン」、
オランダはインドネシア人に学問を授けたくなく、
その様な施策でした。

◆家柄に依っては中学まで行けたものの、一般的には
小学校(Sekolah Rakyat,当時は現在のSekolah Dasar
と言う言葉を使わず、終了期限も3ヵ年だった)
にも行けなかったのです。

◆日本軍は強制的に皆小学校に登校させ、毎朝体操
(Senam)で体を鍛え様としました。

「オハヨウ ゴザイマス」、「キオツケ」、
「ヤスメ」、「キンロウホウシ」、「トナリグミ」、
軍歌も覚えていますが、教練の際の「上官に」
「捧げつつ」は覚えていない。朝礼の際
「テンノウヘイカ」、「バンザイ」も当然覚えて
いるのでしょうが、天皇(Kaisar)は神(Tuhan)
であると教えられた時、アラー壱神教の彼等には
受け入れ難いと感じたに違いありません。

◆覚えたくないか(Tidak mau ingat)、心に留めて
いないか或いは覚えているが言いたくないかで
ありましょう。

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