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2006年10月 7日 (土)

日本兵が残したもの(3)  By 南果 

◆パン(Roti)を焼くとき細かく切ったものを混ぜる
(Campur)と美味しい(Enak)ものです。

◆これ以外の野菜果実の乾燥奨励はしなかった
のでしょうか?

◆冬瓜(Labu)は有るが紐状のカンピョウは無い、
大根(Lobak)は有るが切り干しは無い、干し柿は
無く、乾燥芋も限られているらしく私はまだ
ここで見ていません。

◆バンクアン(Bengkuang)と言う大型の甘蕪も
栄養保存食に成りるでしょうが、この保存食も
見かけません。此れを常食とし5人の妻(Istri)を
養っていると言う人が新聞記事に載って(Terbit)
いました.栄養食であり薬用効果も有るようです。

◆魚の乾燥保存食はジャコ、タタミイワシの類、
塩辛い大小の乾燥魚(Ikan Asin)等などあり
ます.

Maluku州Halmaheraでは飛び魚(Ikan terbang)の
塩乾燥も盛んとか。

◆これ等に比べ日本軍は野菜類の乾燥は奨励
しなかった様です。

◆日本軍がひまし油のひま(Jarak,ラテン名
Jatropha Curcas Linn.)を植えさせた、と
聞いた事が有ります。

◆家の垣根として何処でも見られますが、現在は
燃料として開発しようとソロのAkademi Teknik
Mesin Indonesiaとドイツが良質ひまのある
タンザニアで研究した成果で、本格的試作に
入っている様です。

◆有り難くない日本兵の置き土産も有ります.

当時シラミの事をKutu Jepang(Kutu=虫)と
言って日本兵に多く発生していたと言うのです.

長期の野戦では致し方は無かったのでしょう。

◆こんな話も聞きました.盗人(Pen-curi)を
捕まえ日本軍に渡す(Meng-antar-kan)と「お前の
腕が悪さをした」と言って日本兵が抜刀、
腕を落とし(Potong=切る)たと言うのです。

◆此れを語った人はそれ以降マカッサルの町には
盗人が現れなかったので良かった。私にはそう
言ったものの怖い(Ke-takut-an)時代(Zaman)
でもあったでしょう。

◆当時のマカッサルの人達は良く「日本は
アジアの兄貴だ、我々は日本兵が居なかったら
オランダから独立できなかった」、と言って
いました.

確かにその様な見方もあるでしょう.

◆それはPETA(Pembela=助力、Tanah Air=郷土)
郷土防衛隊の存在も有ったからでは無いで
しょうか。

◆インドネシア側からの要請(Permintaan)で
日本軍が賛成し、各地から集まった若いイ国
軍人達に担当日本兵が特別訓練をしたのです.

◆集まった彼等には独立(Merdeka)と言う目的が
有り、成果は急だったそうです。

本隊はジャワですが後に各地に分散されました.
そして独立戦争では彼等の活躍は目覚しかった
のです。

◆しかし当時(Pada Waktu Itu)のマカッサルで
聞いた「日本のお陰で」の話(Cerita)はこれで
終わり、以降何処でも「日本のお陰で」
良かった、悪かったと言う言葉を聴いた事が
有りません。

◆インドネシアがスハルト大統領に成り、実際は
どうであれ国民に対しては国家の自立感を常に
アピールしていた事にも依るでしょうし、時間
の経過(Masa=時Lampau=経過)であり、当然の
成り行きでもあったでしょう。

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