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2006年8月12日 (土)

自伝 初めてのインドネシア(5)  By 南果 

◆そおです、思い出しました、隣部屋の住人
ガルーダ航空の職員夫婦の可愛い娘(8歳位
だったか?)から太陽はHari Mataでなく
Mata Hariだと、教えられました。

◆(Hariは日=1日、2日、月曜日、火曜日等
に使うMataは目、源)

◆幾らか懇意に成った人に会うと声を掛けら
れます。

Selamat Pagi〈Selamatは幸福、安全 Pagiは
朝、即ちお早う御座います〉

Selamat Siang(Siangは昼即ち今日は)

Selamat Sore(Soreは夕刻即ち今晩は)、

夜間はSelamat Malam(Malamは夜)、

◆ここで注意したいのは挨拶の習慣です。

◆日本では人と会った時“お早う”と言い、
別れる時は“お早う”を繰り返しません。

◆此方ではこれを繰り返します・“今日は”
以下も同じ、電話での会話も同じです。

◆意外な事も目の当たりにしました。ある日、
Hotel住人に依る集会があり覗いたのです。

◆此処には国営企業の官吏が主に住んでいる
ので、中国系の人は居ませんでした。毎日
学んで居るインドネシア語で無い語感音が
聞こえます。

一緒に居たPernomoに聞きました。「あれは
何語だ?」「オランダ語です」の答???

◆どうしてインドネシア人同士で外国語を
使うのか?

それもついこの間まで敵愾心を持って戦って
いた国の言葉を?

◆此処に居る人達はオランダ統治時代中学校に
行けた人々か、兄弟がそうであった人達、
即ち選ばれた人達だと言う事を見せ合って
いるのか?

その見栄は愛国心の上を行くものなのか?

Pernomoに聞くにも、そして何とか英語で
通じ合ったとしても、彼は元オランダ兵 ???

◆副社長の教えの中に

1、 此の国に居る間は宗教の話を
         しないように、

2、 此の国の未婚女性とは深い付き
         合いをしないように、

が有りましたが、愛国心に就いてはどうなのか?

◆私自身は戦中生まれ、愛国心を植えつけら
れる状況の中に居ましたが、そのさなかに終戦、
愛国心撲滅の徒の中で育ちました。

350年間統治されたオランダに対し此処
この人々はどの様に感じて居た、居るのだろう?

まだ未知とも言えるこの国で、面白い命題を
与えられました。

◆月に一度入港する東京船舶の船でプラント建設
の資材が来ます。

船長はマカッサル沖までは何の事は無いのですが、
港の周りはサンゴ礁(Karang)で囲まれている.

それから先はPilot〈水先案内人、空の
パイロットも同じ但インドネシア語ではピロットと
発音する、此の様に英語はローマ字読みと成る〉
の腕です、と言う。

◆確かに空から見るマカッサルの海は大きな、
きれいな水族館を見るようです。

ジャワ島やカリマンタンの海の色とは違い
澄んでいて、遠くのサンゴ礁も見えます。

◆仕事が終われば本船に行きます。私からの
土産はいつもロブスターと蟹、戴くお返しは
醤油と酒。

時には一緒に海岸にレストラン(Restran)、
Wisma Ria(Wisma=ホール、Ria=
嬉しい)で会食、海に張り出した大きい
テラスに夜のそよ風は涼しい。

◆バンド演奏はギター(Gitar)が主体、
スラウェシから東方にAmbonの有るSeram島が
あります。

アンボン人は音楽(Musik)が好きでギターの
名手も多いそうです。

アンボン産の曲はポリネシアの影響か
ハワイアンに似ています。アンボン人が
多い影響か此の辺りの人のエレキギターも
冴えます。

◆Amerikaの新曲がAustralia経由のRadioに
入ってきます。オーストラリアは近いので
インドネシア語の放送が雑音無しで入り
多くの家庭で短波の入る大型ラジオを
持っています。

丁度現在のTVの様なものでした。

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