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2006年7月 3日 (月)

自伝 初めてのインドネシア By 南果

◆私は昭和 36(1962) 年、初めてIndonesiaの首府
Jakartaに着きました。当時勤めていた会社が 
インドネシア政府との間、戦争賠償に準ずるプロジェクト
をSulawesiに建設する為、実施前の調査団に随行したのです。

◆空港は現在と違い東ジャカルタのKemayoranと言う
町に有りました。狭い空港建物を出ると街道筋には
ずらりと露天商が並び、ヤシ(Kelapa)の油を灯した
ランプが立ち並んでいました。

◆薄暗い夜景でしたが26歳の私にとって始めての
外国であり、これからの職場になる所だと思うと胸が
熱く成っていました。

落ち着いて見渡すと何処の道にもBeca(べチャ、
3輪人力車) が溢れ自動車の姿は疎らです。

◆よく観ると日本車は稀で殆どが古い西欧車、
それ以外は米国のシボレー、フォードに豪州の
ホールデン水両用車の様な物も走っていました。

出迎えた1年前にジャカルタ入りして居る先輩に
聞くとソ連製だとの事。

◆我が社の出迎え車は2台のシボレーでした。
但し1台は借り物、日本から帰って来た留学生達
は皆中古のシボレーを日本で買い、引越し荷物
として持ち帰ると無税の由、ジャカルタには
シボレーの交換部品が多いので人気が有るとの事。

◆日本車はダイハツのミゼットだけが大活躍中でした。
BecaとMobilを合わせて、ベモと言う名の自動3輪車
で運転手の後ろに2人の客が乗ります。この乗り物は
この後もバジャイ(Bajai)に取って変わるられる迄
かなり長期活躍していました。

◆翌朝、宿舎玄関前に出ると前の家の子供達が
遊びに来ました。食べているバナナを指してApa itu ?
(apaは何、ituは其れ)と本で読んだインドネシア語を
初めて試みます。ピサンと聞えました(畷りはPisang,)。

◆先輩が加わると先輩の前でインドネシア語を
試みる事が恥ずかしく、調査団の居るジャカルタ
では一番権威のあるホテル、Hotel Duta (Dutaは
大使) に先輩と同道。

◆このホテルはオランダ人が建てたもので、外装
には多くの石材を使い重厚な感じ、朝食には
デルモンテのトマトジュース缶が付き、日本では
未だ無い濃厚な味にビックリ。

◆宿舎のあるKebayoran  Baruは静かな住宅街
でしたが、中心街はビルも少なく殺風景なもの
でした。次の日はSulawesiの首都Makassar行き
でした。

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