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2006年7月18日 (火)

自伝 初めてのインドネシア(2) By 南果

◆空港からGaruda(国のシンボルに成っているワシ)

航空のターボジェットで2時間マカッサルへ着きました。

◆Hasanuddin空港ビルは木製の大きな建物、柱が

少なく立派な建築物、Orang Belanda (orangは人

belandaはオランダ)の手に依るものと聞きました。

空港から街まで約30km程の間、熱帯樹が多く観られ、

やっと田舎にやって来たと心がホッとしました。

◆街までの途次プロジェクトの関係者宅に寄りました。

挨拶が終わるとすぐNasi Goreng (nasi は飯goringは

揚げる、焼き飯です) が出てきました。

元日本兵である副社長からは出された食事は

失礼の無い様、残さないで食べなさいと言われて

いました。

◆初めてのインドネシア料理(料理はMasakan)は

違和感なく全部美味しく戴きました。街に入り

これからお世話になる村長宅でも食事が出ました???

◆これは大変だと団員に忠告、失礼だが少しずつ

食べる事にして良かったのです。この後、軍の

警察関係者の家でも食事が出されたのですから、

当時日本の田舎でも同じ事が行われていましたが、

当地では今でも客の歓待は食事(Makan=食べる)でした。

◆事前に行く事を知らせて訪問すると、その家では

何時であっても食事が出てきます。これ以降は突然

行く事にしました。

◆しかしインドネシア何処へ行っても相手の家へ

行く機会があります。彼等は通常夕刻水浴 (Maindi)

をして着衣を代え客を受け入れます。このマンディー

時とイスラム教の夕刻礼拝時(午後6-7時、

イスラム暦、時間は場所により違うので注意)を

避ける事です。

◆我々の現場宿舎はKelapa Nipah(kelapa は

椰子nipahニッパ) 製の高床式、柱は木製、床は

木の角材土台に椰子科の葉の太い幹を並べ

Rotan(籐)を細く裂いた紐で押さえあります。

壁は竹を薄く取った物の綾織、屋根はニッパの

葉を何層か重ねたもの、床からの風が通り快適、

昼間は女性達が高さの有る床下で絹を織っています。

手織り機はどこの家にも有るようでした。

◆おしゃべりしながらのんびりした仕事風景でした。

しかし夜、小便をしに表に出るとバラバラと数人の

兵隊に囲まれました。ビックリして尋ねるとマカッサル

から護衛の為付いてきた軍隊の中の1個小隊だと言う。

◆我々のプロジェクトはこの付近に居る反乱軍を

鎮圧する為の合板工場施設である事が思い

返されました。この村人の中にも反乱軍の兵士や

家族が居るだろうが大丈夫と副社長は言う。

副社長も日本が降伏した後、インドネシア軍に

入りオランダ兵と戦った元戦士なので、反乱軍

戦士達とも話しは出来たのかも知れない。

◆当時インドネシアの各地には反政府軍が

発生していました。この近辺に居た反乱軍の

長は Kahar Muzakar(カール・ムザカル、元スカルノ

大統領の副官でインドネシア国軍時代は陸軍大佐)

で、南スラウェシは肥沃な土地, 米は国内他島へ

輸出、外国へはコーヒー(Kopi)、ココア(Kakao)

,その他の香辛料、天草(Agar agar)、生ゴム(Karet)、

黒檀(Kayu Hitam=黒い木又はEboni)、チーク(Jati)、

籐(Rotan)の輸出地であり、当時優秀な外貨獲得

地域だった。

◆彼はジャワ集権政策に反対し又イスラム国家

建設の野望もあって野に投じた様だ。反乱軍の

兵士達の多くは農民でもあり、ゲリラ戦をモットー

としていた。

軍隊内部では日本軍の軍票も使われていたとの

話もある。

◆カールムザカル氏は対オランダ軍戦で有名を

馳せた戦士で、村民は彼を英雄視して居る人が

多い様に伺えました。

◆この村Bua(果実の意)はPalopoの町から

約2kmに有る桟橋に近い岬で、翌朝工場建設

予定地を視察、何匹もの大トカゲ(Biawak,身長

約1m)がキョロキョロしながら迎えて呉れました。

護衛の兵隊が脅かしにピストルで撃っても

逃げません。撃たれた経験が無いのでしょうか?

◆桟橋の補強と貯木場の建設予定地に成る海岸の

調査はマングローブ(Bakau)が繁り、海底は

ぬかるみで何が居るか分らない気色の悪い所で

したが、ムツゴロウと同類の魚が多く、海岸線に

ある木の根元に飛びつき、よじ登る姿が面白く、

皆緊張をほぐして眺め入りました。疲れを忘れ

させて呉れた一時です。

◆往路は安全第一策としてマカッサルから約500トン

の船で東南スラウェシのKolaka経由Palopoに

入港、丸一日がかりでした。Bone湾内の旅で

波も無く船酔いした人は居ませんでしたが、

生憎ドリアン(Durian)の季節、船内はドリアン臭で

一杯、初めての香りにドリアン酔い?

◆イルカ(Ikan Lumba ,Ikanは魚)や飛び魚

(Ikan Terbang, Terbangは飛ぶ)の伴走が

快適でした。大きい水蛸蛸はDojak)、大型クラゲ

UburUburもかなりいました。浜辺は何処も

ナマコ(Teripang)で一杯、一昼夜の旅でした。

◆帰路は反乱軍も護衛に参加して呉れましたので、

Makale, Rantepao, Enrekang ,Pinrang, Parepare,

Pankajene, Maros の道を選びました。

◆マカレ迄は山道、エンレカンからパレパレまでは、

沿道の村落に集まる住民が少ないので、超スピード。

そしてマカッサルまでの420kmを12時間,Jeepで

走り抜けました。

◆途中での昼飯はPinrang峠のWarung(屋台店)、

とても素晴らしいとは言えない所でしたが、車に

揺られての旅、皆腹を空かしていたので食べて

しまいましたが、私の食べた豆腐の様な物が

Otak Kambing (otakは脳 kambingは山羊、即ち

山羊の脳味噌)と聞いてウンザリ。

◆兎に角、全団員無事に帰国しました。団員殆どの

人はインドネシアの田舎へ行った事、そして毎日

Panas, Panas (Panasは熱いの意)と言っていた事は

生涯忘れないだろうと話していました。

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