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2006年7月 3日 (月)

インドネシア西から東へ食べある記(2)

◆ジャカルタには代表的料理は無く、Masakan(料理)
Padangがインドネシア料理の代表をしていると
思われます。この手のレストランは沢山有ります。

◆今はJalan Sudirman (Jalan=通り)も両側のビルが
びっしり林立、立錐の余地も有りませんが、昔は
広い場所に机を並べNyonya Cirebon(Nyonya=婦人)
の天幕を張り、煙を立てながら焼いていたサテ・
カンビン、サテ・アィヤム(Sate=串焼き、Kambing=
山羊、Ayam=鶏)が懐かしい。特にカンビンの味が
忘れられない。

◆今では郊外に近い所にこの手の野天食堂は
移っているのでしょうか?

◆今でも点在している典型的なジャカルタ露天料理
はSop Kaki(Sop=スープ、Kaki=足)、此れは湯が
いた山羊のモツが軒に吊るして有り、客がモツを
選ぶと、其れを刻みどんぶりに入れ熱湯を2-3度
注ぎ洗い、トマトを刻み加えた後調味料を入れて、
最後にサミーと言うインド産の油を加える。

◆出てきたご飯にはBawang Merah(Bawang=ねぎ,
Merah=赤い)を刻み唐揚げした物をまぶす。熱い
スープなので夜食向き、実に上手いがコレステ
ロールが多く老人向きでは無い。これを第2の都市
スラバヤで探したがナイ。

◆Bogorを尚西へCipanasで駐車場の広い店の
Nasi Tim(Nasi=ご飯、飯, TimはSteamらしい)鶏の
切り身を味付けし、大型茶碗大のアルミ食器に
米と一緒に入れ強いスチームで蒸す、15分程で
出来上がり、薄味だがうまい。

◆Bandungは高菜入りパーコラーメン風、山腹の
屋台。

◆Jokjakarta評判のNyonya Hartini,鶏料理は全て
揚げ料理で、評判程ではない。ジョクジャの代表
料理のNasi Gudekは甘過ぎ、日本人向きでない。

◆店の名は無いがソロからプルオダティへ向かう
沿道の店に鶏から揚げの美味い店がある。地鶏
(Ayam Kampung=田舎)で小型だが1人で1羽
いける、味が軽い。揚げる前に施す調味料に
コツがありそうだ。

◆ジャワ島東端のBanyu Wangi (Banyu= ,ジャワ
語で水 Wangi=イ語で香りの意)、に香る水は無く、
一番売れている飲料水AQUAはスラバヤとマラン
の中間にあるPandaanで取れる。

◆同じ東部ジャワでもジャワ海に面するTuban
では海岸戦に白い軽い石(軽石より緻密)の積層
が有り、深く掘って貯水してある池が所々ある。

これを一度飲んで見たいと思っています。

◆スラウェシ島マカッサルは焼き魚で有名、海岸
ペリの店でも色々焼いてくれる。イカの墨ごと焼き
もある。店ではAsia Baru(Baru=新しい) がNo.1
だが店は古くからやっていて、自分で魚を選んで
焼いて貰う。

◆我々は自分で日本の醤油(Kecap Jepang)を
持っていったが、今は日本の醤油はどこの都市
にも有るので持って行く必要はないでしょう。

この店名物は蟹を沢山ぶった切って大釜で
煮たもの、そのスープは絶品、今も健在か?

◆ハビビ大統領の出身地、Pare Pareは
マカッサル海峡に面した港町、岬には何件かの
屋台が有ります。皆ツミレスープを売っている
のです。増量剤が少ないのでしょう。

本当に美味しいツミレです。ジャワではBasokで、
肉のBasokも有りますが、Pare2では魚専門で
ニョンニャとかニョニャとか言っていました。

◆Halmahera (北マルク州) には美味しい貝が
沢山あるとの事だが、まだ仕事のチャンス無く
行った事がない。日本統治時激戦が有ったとかで
樹木の幹には多くの弾丸が入っていると、
聞いているので尚足が遠のいてしまった。

◆一寸行過ぎました、カリマンタンでの事を思い
出しました。

西に少し戻ります。南Kalimantanの南端にある
Pulau Laut(Pulau=島、Laut=海)へ行き、仕事が
終わりましたので、船を借りTanjung Layarに
行きました。(Tanjung=岬、Layar=帆)。

◆海に出て暫くすると風が出てきました。一面が
サンゴ礁の様で潮が引けば歩ける所が多そうです。

一枚帆掛けの小さいカヌーが風に吹かれ岸に
向かってすっ飛んで行きました。人間はいません。

◆「あれはどうしたんだ?」と同船者に聞くと人は
落ちたんだろうと平気で言う。訝っていると又来た。
空舟が、浅瀬の時はどうにか成るかもしれないが、
満潮の時は如何するのか?

◆深みに出ました。水深50m程もきれいに見えます。
短パンの下は水泳用パンツをはいていたので、
脱ぐなり飛び込みました。同船者が慌てて止めます。
紐状の毒クラゲが居て、刺されると高熱で寝込ん
だり、死ぬ事も有ると言う。

◆ポンポン船で3時間灯台守の島に着きました。
直径1km程の島に5人の燈台守が3ヶ月交代で
住んでいるとの事です。

夕方に海亀が来るのを見に来たのですが、薄暗く
なってきても亀は現れず、亀の卵子焼きをご馳走に
成って帰ってきました。玉子焼きは分厚くスカスカ
してパンの様なものでした。

◆米が取れないTimorは野菜も少なく肉料理が
主体、野菜はカンコン(Kangkung=辞書には
ほうれん草としてあるものもあるが、根は白い
水草、陸地でも繁茂する)のみ。東Timorの
パダン料理屋に入った、やっぱり野菜はカンコン
だけ、いやはや参りました。Timorの田舎の家や
正式風俗は“冒険ダン吉”を偲ばせるものでした。

◆Irian Jaya のSorongにも行きましたが Timorと
同じでカンコンばかりでした。

此処での嬉しい事は、シンガポールから市場船
(Kapal Pasar,Kapar=船)が巡航して来る事です。
衣類雑貨が主体ですが、Tiger Beer やWine
(Anggur)がバカ安です。

◆日本の漁業会社は、マルク州とイリアン州の
BandaとArafura海を根城にして漁獲しているのに、
地域の市場に新鮮な魚が少なかった。しかし
最近見たTVでTimorの市場に1m弱のマグロが
沢山映っていた。ジャワでは大きい魚は処理・
処分できないので取らないがTimorには缶詰め
工場があるのか?

◆この様な事情もあるのか、概してインドネシア人
は肉、特に鶏肉が好きで、海の幸をあまり知ら
ないし、食べないから漁師も取らない、市場に
出るものも少ない。

◆しかし、何処でも外国人が多く住みだすと海魚
も取り、高原野菜も栽培し、売買される様になる。
即ち外国人の出入りの少ないところは食材が
少ないと言えるでしょう。

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